
ロゴタイプは、ほかには見ないオリジナルの MICR 書体(「コ」は、『月刊マイコン』と同じ字形)。
イベント
「’82マイコン-イン」は、鹿教湯温泉観光協会が主催したイベント。鹿教湯温泉は長野県小県郡丸子町(現在の上田市)にある1。会場には、旧・斎藤旅館の広間を使った2。
当時の観光協会長の齋藤兵治氏によれば、アメリカのサマースクールに影響を受けて企画した。長期休暇のあいだ子どもを預かり、両親だけで旅行できるようにしたもので、いろいろなイベントが開かれていた。「マイコン-イン」も、子ども向けのマイコン教室のようなものを考えていたという13。
参加者は 4〜5人しか集まらず、話をしただけで散会した3。齋藤氏は、コンピューターが社会に浸透する前だったためか、不発に終わったと振り返る1。イベントは翌年からは開かれず、1982年の一度きりとなった3。
その後、齋藤氏は通商産業省の補助金で、大人向けのパソコン教室を企画した。こちらは大成功だったという13。この流れが、上田市の通商産業省による新産業都市の指定や、工業団地の造成などの事業へとつながっていったように思う、とも語る2。
ポスター
告知には、ポスターとチラシがあった1。ポスターは B1 で、モデルは坂本龍一4。
ポスターは観光協会の広告で、駅に貼る掲出料は観光協会が持ち、制作はエプソンが無償で引き受けた。掲出料は 50万円で、ポスターは国鉄の全国の駅に貼られたという13。
イベントの時期(1982年8月21〜30日)は、HC-20 の発売と重なる。ポスターの掲出開始時期は不明だが、HC-20 は 1981年10月19日に発表され5、1982年7月に出荷が始まった678。観光協会の広告に、発売直前または直後の HC-20 が相乗りした格好だ。齋藤氏も、エプソンにとってはハンドヘルドコンピューターの宣伝になったはずだという3。
当時、坂本龍一を起用した HC-20 の広告があった9。ポスターの写真は、その広告の撮影で撮った別カットを使ったものとみられる。
1982年7月23日には、信州精器株式会社からエプソン株式会社に社名を変更した10。
オレンジ色の地に同じロゴタイプと写真を組んだ印刷物も存在している。こちらには「エプソン株式会社」の社名も入っている11。
1979年のマイコン合宿
マイコン-インより前にも、鹿教湯温泉では似た催しが企画されていた。1979年の『ASCII』8月号には、のちにマイコン-インの会場となる斎藤旅館が「マイクロコンピューターを使いませんか」という広告を出した。期間は「54年7月、8月」で、「家族で楽しむマイコンゲーム、マイコン教室、学生さんの合宿に」と呼びかけた。マイコンの使用料は「1日…1,000円(24時間)」だった。合宿と家族旅行の料金のほか、ビジネス用システムの開発を手伝う人の募集やアイデアの募集も載せた12。

HC-20
HC-20 は、世界初のハンドヘルドコンピューター6。信州精器と諏訪精工舎が1981年10月19日に発表し5、翌20日から東京・晴海で開かれた「データショウ’81」で展示した13。出荷が始まったのは1982年7月68。
発売時の本体価格は 13万8600円(AC アダプター別)9。A4 の大きさで重さは約 1.6kg。20桁×4行のモノクロ液晶ディスプレイとマイクロプリンタを内蔵し、ニッケルカドミウム電池で長時間使えた。マイクロソフトの BASIC に HC-20 用の命令を加えた、約32キロバイトの BASIC を搭載している14。ヒット商品賞、ロングセラー賞、1982年度の日経・年間優秀製品賞を受賞した6。発売後の需要は好調で、1982年10月には、その年度の生産計画を当初の8万台から20万台に上方修正した8。
資料
年表で読むセイコーエプソン
1881-2000年
著者 - セイコーエプソン株式会社
出版社 - セイコーエプソン
出版年 - 2001年2月
セイコーエプソンの社史。1982年の年表(p.109-110)に、HC-20 の発売(1982年7月)と、信州精器株式会社からエプソン株式会社への社名変更(7月23日)が載っている。

究め極めた「省・小・精」が未来を拓く : 技術で驚きと感動をつくるエプソンブランド40年のあゆみ
著者 - 大河原, 克行, 1965-
出版社 - ダイヤモンド社
出版年 - 2015年6月
ISBN - 9784478066362
エプソンブランドの40年の歩み。HC-20 を「セイコーエプソンの小型軽量技術を世界中に知らしめるきっかけになった製品」とし、1982年7月の発売としている(p.50)。
出典・注
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県立長野図書館「「’82マイコン-イン」というイベントが鹿教湯(かけゆ)温泉で行われたらしい。…」レファレンス協同データベース、2022年6月11日作成(管理番号 県立長野-22-049) ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6
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齋藤兵治(ひょうじ)氏(当時の鹿教湯温泉観光協会長)への電話取材(2022年6月11日。県立長野図書館からの紹介による) ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6
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まんだらけ通信販売「告知用 坂本龍一 ’82マイコンイン‐かけゆ B1ポスター」(商品番号 nitem-00J1WM6J。Internet Archive の保存版、2021年12月16日) ↩
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「諏訪精工舎と信州精器、OAに本格進出――超小型パソコン・日本語WPなど発売。」『日経産業新聞』1981年10月20日、4ページ(県立長野図書館のレファレンスの回答による。記事は19日に「発売」とし、出荷は翌年春からの予定としている) ↩ ↩2
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『年表で読むセイコーエプソン [1881~2000年]』セイコーエプソン、2001年、109ページ(1982年7月「世界初のハンドヘルドコンピュータHC-20、HX-20(海外)」) ↩ ↩2 ↩3 ↩4
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大河原克行『究め極めた「省・小・精」が未来を拓く』ダイヤモンド社、2015年、50ページ(県立長野図書館のレファレンスの回答による。「1982年7月に発売したハンドヘルドコンピューター「HC-20」」) ↩
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「携帯型パソコン大もて――営業マン狙い新機種続々、OA機器メーカー参入で相次ぐ。」『日本経済新聞』1982年10月8日、11ページ(県立長野図書館のレファレンスの回答による。「この七月から出荷を始めたエプソンの携帯型パソコン」) ↩ ↩2 ↩3
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ja1zbr「坂本龍一 1982年 EPSON」あの時の広告(楽天ブログ)、2012年6月6日(HC-20 の広告の画像。掲載誌は書かれていない) ↩ ↩2
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『年表で読むセイコーエプソン [1881~2000年]』セイコーエプソン、2001年、110ページ(1982年7月23日「信州精器(株)、エプソン(株)に社名変更」) ↩
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稲葉俊郎「「’82 マイコン・イン 鹿教湯温泉」&坂本龍一さん」2026年9月9日投稿(展示されている印刷物の写真) ↩
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斎藤旅館の広告「マイクロコンピューターを使いませんか」『ASCII』3巻8号(1979年8月)p.63 ↩
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「東京・晴海の「データショウ’81」信州精器など103社 パソコン、多数の新機種」『信濃毎日新聞』1981年10月21日朝刊、6ページ(県立長野図書館のレファレンスの回答による。「前日発表したハンドヘルド(持ち運び自由)コンピューター「HC-20」を展示」) ↩
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情報処理学会 コンピュータ博物館「【信州精器・諏訪精工舎】HC-20」(2026年9月29日閲覧) ↩
