日本マイコンクラブは、マイコンの愛好家の団体。東京大学の渡邊茂氏ら11人を発起人として1976年10月1日に発足し、渡邊氏が会長を務めた。1977年7月1日には日本電子工業振興協会(電子協)に事務局を置いた1。

機関誌は、1976年10月2日の『マイコン研究会資料』第1号に始まり、『まいこんさーきゅら』を経て、1978年1月の第3巻第1号から『マイコンサーキュラ』になった12。1982年2月号は第7巻第2号(通巻81号)で、毎月10日に出していた3。

電波新聞社が1977年に創刊した『マイコン』(月刊マイコン)の編集に協力した4。のちに『マイコンBASICマガジン』の編集長になる大橋太郎氏は、後年のインタビューで、電波新聞社が日本マイコンクラブから雑誌づくりを引き受けたと振り返っている56。

マイコン・コンテストを主催した。1978年には「マイクロコンピューターショウ’78」に先がけてアマチュアから作品を募り、11点が集まったという(調査中)7。

1991年に社団法人パーソナルコンピュータユーザ利用技術協会(PCUA)になり、機関誌も『パソコンリテラシ』に改めた1。

ロゴは、機関誌『マイコンサーキュラ』1982年2月号のマイコン・コンテストの募集の頁8や、『マイコン』1983年8月号の日本マイコンクラブの頁9に載っている。確認できたいちばん古いものは1982年2月号のもので、遅くとも1982年には使われていた(使い始めた時期は調査中)。

  1. 『パソコンリテラシ』22巻10号(通巻273号)、パーソナルコンピュータユーザ利用技術協会、1997年10月、「20年の歩み」(国立国会図書館デジタルコレクション コマ3・コマ5・コマ6・コマ8・コマ26・コマ28・コマ58。「日本マイコンクラブ発起人名簿」、渡辺茂会長「まず第1弾10月1日に日本マイコンクラブを発足いたし」、「昨年の七月一日には電子協に事務局が設置され」、「昭和53年(1978年)1月の第3巻第1号(通巻34号)から,『マイコンサーキュラ』となる」、「新法人設立にあたって 社団法人パーソナルコンピュータユーザ利用技術協会 会長渡邉茂」(1991年5月)、「機関誌『マイコンサーキュラ』を8月号より『パソコンリテラシ』に改題」。抜粋は全文検索の OCR) ↩ ↩2 ↩3

  2. 「マイコンサーキュラ」国立国会図書館サーチ(「1号(昭和51年10月2日) - 33号(昭和52年12月10日) ; 3巻1号=34号」「16巻7号=197号(1991年7月)」。2026年10月23日閲覧) ↩

  3. 『マイコンサーキュラ』1982年2月号(第7巻第2号、通巻81号、日本マイコンクラブ)の表紙(「昭和57年2月10日発行」「毎月1回10日発行」)。通巻は、国立国会図書館サーチの書誌の「3巻1号=34号」(1978年1月)から毎月1号ずつ数えた番号(7巻2号なら通巻83号)と合わない。同じ書誌の「16巻7号=197号(1991年7月)」も、毎月1号ずつなら196号になる ↩

  4. 『マイコン』1977年8月号(創刊号)、電波新聞社、表紙(「日本マイコンクラブ編集協力」) ↩

  5. 木村めぐみ・井上明人・福田一史・鴫原盛之・松井彩子「大橋太郎第1回インタビュー後半:生い立ち~電波新聞社入社当時の業務内容」(IIR Working Paper WP#19-12、一橋大学イノベーション研究センター、2019年2月)p.9(「あれは日本マイコンクラブっていうところから引き受けたんです。そういうクラブだけではとてもできないので、電波新聞社のほうで引き受けたんですね」。2026年10月23日閲覧) ↩

  6. 「【特別インタビュー】大橋太郎さんが語る『マイコンBASICマガジン』の歴史」RetroPC NEWS(2026年4月28日。「日本マイコンクラブから「マイコン」を雑誌として作ってくれと、二代目社長(平山哲雄氏)から指示がありました」。2026年10月23日閲覧) ↩

  7. 『月刊アドバタイジング』23巻6号、電通、1978年6月(国立国会図書館デジタルコレクション コマ15。「『マイクロコンピューターショウ’78』(日本電子工業振興協会主催)に先がけて,日本マイコンクラブ(会長=渡辺茂·東大教授)ではアマチュアに向けて『マイコンコンテスト』の作品を募集した。集まった力作は全部で11点」。全文検索の抜粋〈OCR〉で、紙面は未確認) ↩

  8. 『マイコンサーキュラ』1982年2月号の「第6回 マイコン・コンテスト 作品大募集」の頁(「主催 日本マイコンクラブ」「〒105 東京都港区芝公園3-5-8 機械振興会館 (社)日本電子工業振興協会内」) ↩

  9. 『マイコン』1983年8月号、電波新聞社、p.544 ↩